「やれやれ」と僕は言った。
という一文だけで村上春樹だと理解できてしまう辺りが、彼の凄いところだ。作品に賛否両論数あれど、ストーリーではなく文体がそれだけ知れ渡っている作家はなかなかいない、その点だけでも彼は凄いのだなと思う。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読み終わった。
本屋の新刊コーナーばかり見ているタイプの乱読家なので、自分が生まれるより前の本を手に取るのは久々だった。生まれるより前の作品はよく読むけれど、大概は国語便覧に乗っているような作家の総集編とかオムニバスとかそういうもので、初版発行年が昭和の本は久々だった。だから何だということは特にない。
村上春樹が取り立てて好きということはなく、初めて読んだのは1Q84の文庫版だし、かの有名な『ノルウェイの森』も未読だ。『騎士団長殺し』もまだ読んでいない。これは単純にハードカバーの本が嫌いだからだ。ポケットに入らない。しかし実際ポケットに入れることはあまり多くなく、鞄の邪魔にならなければ良いので、新書は普通に買う。京極夏彦だけは別だ。
タイトルがずっと気になっていて、漸く手に取ることが出来たのだが、なるほど世界の終りだった。ハードボイルドなワンダーランドだったかは微妙だけれど、概ね満足した。
繰り返すが取り立てて氏の作品が好きなわけではない。『女のいない男たち』を昨年あたりに読んで、本当にこれが2010年代の作品なのか? と目を疑ったりもした。
だけど本作は面白かった。二つの場面が同時に進行する作品によく有るどんでん返し、離ればなれに見えた線が面として繋がる瞬間の快感、そういうものは無かったけれど、接点がじわりと共鳴して滲み出るような感覚は嫌いじゃない。そのキイとなる曲には共感出来なかったけれど、あの場面のBGMとしては有りかもしれない。残念ながら好きな音楽は低音域のよく響くクラシックか、高音域の鮮やかなシンフォニックメタルなので、世代の問題ではなく好みの問題である。
もう少し具体的に好きな点を挙げると、世界の終り編の情景描写と、終盤のモノローグの2つに絞られる。
下巻234ページにこんな一節があった。
私自身はどこにも行かない。私自身はそこにいて、いつも私が戻ってくるのを待っているのだ。
人はそれを絶望と呼ばねばならないのだろうか?
やけに印象的だった。何を感じたかを語るのは野暮だし、どうでもいいプライベートに片足を突っ込むのでここでは語らない。
言いたいことはこの人生観がそれなりに好みだということだけだ。氏の考える世界の終りがこういうものかと、読んでいて納得もした。
そういう訳で面白かったので、ここに書き留めておく。
問題はこの主人公が些か酒を飲みすぎるきらいがあって(そして飲酒運転を多くする、この辺りは時代だったのだなと思う)、女好きに過ぎるきらいがあって(大体いつもそうだという指摘には返す言葉がない)、つまりは中学生に素直に勧めづらいということだ。
勤務先の図書館には『海辺のカフカ』だけが置いてある。悪くない判断だと思う。
ブランデンブルグを聴きながら煙草を一本吸って、今夜は寝ることにする。
追記
ブランデンブルグはそこまで好みの曲ではないのだが、バッハは無条件で好きなのだ。