現実とベッドの狭間

授業をすることとTRPGのGMをすることは似ている、そういうことを言いたい

授業をすることとTRPGのGMをすることは似ている

そういうことを言いたい。

 

授業案とはシナリオである。

印象的なオープニングでプレイヤーのモチベーションを引き出し、積極的に調べたり考えたりしていく中で、何かが分かるようにしておく。

自ら動かぬ消極的なプレイヤーに慈悲はないが、システム初心者へのアシストは必要だ。これを怠ると保護者からクレームが来る。

必要な情報が揃ったり、ダンジョンの最下層に辿り着いたりしたところで、物語はクライマックスを迎える。プレイヤーが必殺技をキメたり、かっこいい台詞を並べたりする。上手く回せばクリティカルもばんばん出てくる。逆にそういう場がないと、プレイヤーがどんどんNPC化していく。それではつまらない。

そしてその日の主人公が物語のトドメとなるアクションを起こしたところで、クライマックスが終わる。たまに自分が主人公だということを忘れているPC1とかもいるので、さりげなく声をかけたい。

エンディングは短くていい。長いとダレる。戦利品もざっと確認するに留めて、細かい確認は後にする。あとGMの狙った方向に無理矢理誘導するよりは、その日の総括に留めた方がましだ。

 

こういう簡単なシナリオを、ご丁寧にワードやエクセルで書き起こすと、指導案になる。本にしてコミケで売ってもいいと思う。言い値で買う。

 

ところで言い訳になるが、実際問題たったの50分かそこらで、中身のあるシナリオを回すのは無理だ。リプレイを読み返すにすら足りないかもしれない。

だから現実的には、2時間以上かけてこのようなシナリオをプレイしていくことになる。故に、1時間ずっと情報を集め続けるとか、1時間ずっとパーティ内で方針について揉め続けるとか、そういう日もある。仕方ない。時間は有限なのだ。

ただし1時間ずっとGMが設定や情報を喋り続ける、そういうのはよくない。「長話で有名な『龍の竪琴亭』の爺さんだって、エールも呑まずにこんなに喋り続けるこたぁしなかったぜ」などと言われる羽目になる。エールを呑むか話を止めるかの二択だが、選択の余地はない。

何が言いたいかというと単元はキャンペーンだ。もっと言うと3年間の学習内容は丸々、超遠大なキャンペーンだ。そういう話もいつかしたい。

 

なお学習指導要領はルールブックなので、きちんと読んだ方がいい。GMはゴールデン・ルールだが、あまり乱発するとプレイヤーはシステムの意義や良さを見失う。あとやっぱり保護者からクレームが来る

 

そんな気分で実習生の頃から指導案を書いてきた。GMの腕が上がったかどうかは不明だ。

 

ちなみに今、我が愛しき教え子たちの間ではネクロニカが流行っているようで、指導案なんか放り出して、そっちのプレイヤーになりたいのが現状である。研修さえなければ……こんなもの……!